Ⅱ. 昭和(1926年-1989年)戦前・戦時体制、戦後の復興から高度経済成長、その後の経済の成熟
2.
戦時体制下から戦争終結まで(昭和11(1936)年~昭和20(1945)年)
昭和12(1937)年から協会事務室の拡張について検討され、翌年の昭和13(1938)年3月に、三信ビルディング8階に移転しました。
(提供:三井不動産株式会社)
昭和15(1940)年9月、のちの全国金融統制会の前身となる全国金融協議会が設立されると、信託協会もこれに加盟しました。そして、この協議会が傘下金融団体内部の各種会合の整理統合方針を打ち出したこと等の関係から、信託協会は昭和16(1941)年4月、従来の関東・関西両支部を廃止し、あらためて大阪支部を設置しました。
会員会社は、吸収合併や経営不振等から、昭和11(1936)年の29社から減少し、昭和16(1941)年には20社になりました。
太平洋戦争に突入後、昭和17(1942)年4月に国家総動員法に基づく金融統制団体令が公布施行されました。同団体令に基づき業態別統制会の設立命令が発せられると、信託業界も同年5月12日に「信託統制会」を設立し、その後成立した全国金融統制会の下部組織となりました。
従前の信託協会の主な役割が「信託統制会」に移されたことから、信託協会は昭和17(1942)年8月1日から「社団法人信託集会所」と改称し、その活動は会員間の倶楽部的親睦活動が中心となりました。
その後、「信託統制会」は「銀行信託統制会」に組み入れられることとなり、昭和20(1945)年5月末日に解散しました。太平洋戦争が終結すると、金融統制団体の解散命令が発せられ、昭和20(1945)年9月30日、全国金融統制会は解散しました。
これに伴い「信託集会所」は再び戦前の協会本来の姿に復することとなり、同年10月1日「社団法人信託協会」の旧称に復帰しました。

