Ⅰ. 大正(1912年-1926年)
前身(大正8(1919)年2月~大正14(1925)年10月)
任意団体「信託会社協会」の創立
わが国の法律に「信託」という言葉が初めて登場したのは、明治33(1900)年、日本興業銀行法に「地方債券、社債券及株券ニ関スル信託ノ業務」と記されたのが最初になります。
明治38(1905)年には担保附社債信託法が制定され、有力銀行が営業免許を受けて、担保付社債信託業務を行うようになりました。
このようにわが国の場合、まず初めに事業会社を対象とする信託制度が導入されました。一方で、個人の財産の管理・運用を専門に取り扱う信託会社は、明治39(1906)年に設立された東京信託株式会社だといわれています。
同社の設立以降、信託会社は次々と設立され、特に明治末年から大正初年にかけ日露戦争後の好況により大幅に増加しました。その後、大正4(1915)年頃から信託会社の設立は一時停滞し、また消滅するものも多くなりました。
第1次世界大戦(大正7(1918)年)後に再び信託会社の設立ブームが到来し、それまでとは異なった大資本を擁した信託会社が多く設立されるにおよび、信託会社に対する社会的信用の回復の兆が見られるようになりました。
これらの信託会社が結束し、自らの手で共同の利益を求めようとする気運が高まり、大正8(1919)年2月26日、任意団体として「信託会社協会」(会長 日米信託社長 菅原通敬)が創立されました。創立当初の会員会社は6社でした。設立のねらいは、①信託法規制定のための調査研究、②信託事業の信用回復、③社会のニーズに対応するための業界の結束、とされています。創立後、同年6月には事務局を日米信託内に開設しました。(その後、大正10(1921)年10月に日米信託ビルディング4階に移転。)
同協会は、同年7月に会報『信託』第1年第1号を発刊(※)し、信託思想の普及に努めました。また、大正9(1920)年から大正10(1921)年にかけて、信託業法や、関係する税法に係る陳情活動を行いました。
- 大正12(1923)年の関東大震災のため、一時休刊し、大正13(1924)年の第6年第1号以後休刊となりました。
信託協会への改組
大正11(1922)年末頃から、信託会社協会は、関西の信託会社が組織した関西信託協会との合併について話し合いを進め、大正12(1923)年1月19日の総会にて合併が決議され、同会終了後、信託会社協会は「信託協会」と改称し、本部を東京に置き、関東支部と関西支部が東京と大阪(※1)にそれぞれ置かれました。
同月には、信託法・信託業法が施行(※2)され、わが国における信託法制が整備されました。
同協会は4月に信託協会大会と記念祝賀会を開催し、また、信託2法および関係する法令等を取りまとめた『信託法令集』を4月15日に発行しました。
同年9月1日に発生した関東大震災によって、協会事務所が入居していた日米信託ビルディング(新ビル)の大半が焼失したことから、協会事務所も被災し記録文書等を消失する等の被害を受けました。事務所は、隣接していた旧ビルに移転しました。
また、この時期、協会は、関東大震災の善後対策(※3)等を行いました。
- 関西支部事務所は、関西信託内に置かれました。
- 大正11(1922)年4月に公布されました。なお、信託協会では、信託2法成立までの経緯等についての重要資料を一括収録した資料集『信託法規ノ成立』を同年6月28日に発刊しました。
- 震災という非常事態下における金融上の必要が生じた際に日本銀行から必要な融資を受けることができるように、大蔵大臣、日本銀行総裁に請願を行い了承されました。

