Ⅱ. 昭和(1926年-1989年)戦前・戦時体制、戦後の復興から高度経済成長、その後の経済の成熟

3.

戦後の復興から高度経済成長(昭和20(1945)年~昭和48(1973)年)

(1)

戦後復興から高度経済成長への対応

信託協会は、戦後の信託会社の経営の苦境を打開するため、関係当局に意見書を提出する等の努力を続けました。昭和23(1948)年に信託会社が経営の安定化に向けて信託銀行となった後、信託業界では、わが国の産業への長期資金の供給に資するため新たな信託商品の組成について検討を行い、信託協会は、「貸付投資信託制度実施に関する件」等の新たな商品に係る要望書を当局に提出し、これらを踏まえた貸付信託法が昭和27(1952)年に公布施行され、同制度が発足しました。
貸付信託は、戦後のわが国経済の目覚ましい成長と国民の旺盛な貯蓄に対する関心により飛躍的な発展をとげたことから、信託業界の金融界における地位が確立しました。昭和34(1959)年には、信託協会は、長期の貯蓄手段としての金銭信託および貸付信託についてのテレビ広告を提供するといった、新しいメディアでの広報活動も行いました。後年、貸付信託法の施行から20年後の昭和47(1972)年6月に、貸付信託法施行20周年記念講演会を東京、名古屋、大阪にてそれぞれの会場に異なる講師を招き開催しました。
昭和30年代に入ると、企業の退職金支出増大への対応の必要性が認識され、信託協会は、日本経営者団体連盟(※1)、生命保険協会と税制の改正に関する要望を行い、その結果、昭和37(1962)年に適格退職年金制度が創設されました。また、昭和41(1966)年には、厚生年金基金制度が創設され、信託銀行は、企業年金信託の取扱いを開始しました(※2)。

講演会案内パンフレット
  • 同連盟は平成14(2002)年に経済団体連合会と統合し、現在は日本経済団体連合会となっています。
  • 適格退職年金制度は、平成24(2012)年3月末をもって廃止され、厚生年金基金信託は、平成26年(2014)年3月末をもって新規設立が停止されました。
(2)

信託制度の普及・発展への対応

①

各種出版物の発行・発刊

会報『信託』は、昭和20(1945)年以来休刊しておりましたが、復刊の要望の強まりを受けて、昭和24(1949)年に復刊第1号を発行しました。
また、信託制度の一層の発展のため、信託に関する研究を志す有為な人材に対して奨励金を贈呈する制度である、信託研究奨励金制度を昭和37(1962)年に創設しました。同制度は一旦昭和43(1968)年に終了しましたが、昭和47(1972)年に制度を拡充したうえで再発足し、現在にいたります(※)。
昭和47(1972)年は貸付信託法が施行されてちょうど20年目にあたることから、記念事業の一環として、昭和48(1973)年1月に『信託銀行読本』を発刊しました。

  • 昭和47(1972)年度から令和7(2025)年度までで、贈呈件数は926件、 贈呈金総額は4億1,610万円となりました。
会報『信託』復刊第1号
②

海外調査

信託協会では、昭和38(1963)年から昭和57(1982)年までの間、欧米等の海外の信託事情を調査・研究することを目的とし、社員各社の実務家をメンバーとした信託銀行業視察団を派遣しました。本視察団は、財団法人日本生産性本部の主催により実施されたもので、第20次まで派遣しました(※)。

  • この他にも、昭和47(1972)年および昭和60(1985)年から平成4(1992)年にかけて、また、平成10(1998)年および平成17(2005)年から平成19(2007)年にかけて、海外視察団を派遣しました。
(3)

信託協会の体制整備

信託協会は、信託業の健全な発展と信託業界の地位の向上を図るため、各種委員会組織の整備、事務局陣容の拡大等、協会機能の強化拡充のための措置を段階的に実行し、事務局の体制については、昭和41(1966)年に部室制が設けられ、同年4月に総務部、業務部が設置され、その後昭和46(1971)年12月に調査部が設置されました。
協会事務所は、昭和20(1945)年9月に、入居していた日比谷三信ビルディングが占領による接収を受けたことから急遽三菱東九号館に移転し、その後昭和26(1951)年2月に三井ビルディング新館(仲3号館)に移転しました。同ビル借室の狭隘を解消するため、昭和35(1960)年9月に日比谷三井ビルディングに移転しました。

日比谷三井ビルディング
(提供:三井不動産株式会社)

同ビル移転後も、加盟会社の会合の増加や事務局職員の増員等に伴い、事務室の拡張が検討され、昭和42(1967)年11月に日本ビルヂングに移転しました。

日本ビルヂング
(提供:三菱地所株式会社)