海外における信託の歴史

信託はいつ、どこで生まれたものなのでしょうか。海外での信託のルーツと、その発展をご紹介します。

「信託」のルーツは紀元前

「信託」の考え方のルーツは、紀元前までさかのぼります。紀元前1805年に古代エジプト人が記した遺言の中に、すでに信託の考え方のきざしを見ることができます。

ユース(use)からトラスト(Trust)へ

「信託」の制度の始まりは、中世のイギリスで利用されていたユース(use)であると一般的にいわれています。イギリスでは当時、自分の死後に教会に土地を寄進する慣習がありましたが、それを法律で禁止されたことに対抗するかたちで生まれたものが、ユースでした。それは「信頼できる人に土地を譲渡→そこから得た収益を教会に寄進してもらう」というもので、自分または他の人の利益のために、信頼できる人にその財産を譲渡する制度だったのです。
ユースは、十字軍の遠征でも、参加した兵士たちの間で、国に残してきた家族のために利用されたといわれています。
さらにユースは、時代の変遷を経て、近代的な信託制度へと発展しました。また、人と人との信頼関係に基づくものであることから、信頼を意味する「トラスト(Trust)」という言葉で呼ばれるようになりました。

イギリスからアメリカへ、信託の広がり

イギリスで生まれた信託制度は、その後アメリカに渡り、はじめは遺言の執行や遺産の管理などを中心に利用されました。
さらに、19世紀のはじめになると、信託の引受けを会社組織で行うものが現われました。その後、1861年に始まった南北戦争をきっかけとして、鉄道建設や鉱山開発など、インフラ関係の新しい事業がさかんになり、多額の資金が必要とされました。そこで、これらの事業を行う鉄道会社や鉱山会社の発行する社債を引き受け、広く大衆に販売するかたちで資金を供給したのが、信託会社でした。信託会社が金融機関としての役割も担うようになったのには、こうした背景があったのです。

コラム

「ハンムラビ法典」にも「信託」が登場する!?

「目には目を歯には歯を」で有名な「ハンムラビ法典」。実はその中にも、信託の考え方を見ることができます。
商業が発達した古代バビロニアでは、商人たち(タムカルム)が広い地域を股にかけて商売を盛んに行っていました。
商人は交易のための資金や商品を代理人(サマラム)に預けて出かけますが、預かったサマラムは、タムカルムのために託された元本の倍の利益をあげることなどが『ハンムラビ法典』で定められていたのです。同時に、損失が発生した場合のルールなども定められていました。財産を託された者が負う厳しいルールは、現在にも通じるものがあります。

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